今日、引っ越しのあいさつをしようと決めていた。
下の階の人がどんな人か何となく見当がつく。
よく演歌が流れ、NHKっぽい番組の音が聞こえる。それも、だいぶ大きい音量で。
私のばあちゃんもTVの音量がだいぶ大きい。演歌も大好きだ。
少し耳が遠いお年寄りの一人暮らしなんだろうな。
私はそう予想していた。
夕方6時、部屋の前に立った。
ピンポンを鳴らそうとすると、緊張する。怖くなる。
「どんな人が出てくるのか。」
機嫌が悪い、鋭い目つき、そんなおじいちゃんだったらどうしよう。
結構よぼよぼで、部屋の中荒れてたらそれもそれで見たくない。
なかなかピンポンを押せなかった。
「ドタバタ迷惑をかけるのは上の階の私なので、挨拶はしなくてはならない。
せっかく、リトル饅頭と副梅を買ったんだもの!」
そう、心の中で叫びながら、ドアの前に5分ほどウジウジしていた。
でもね、ふとした瞬間に心の準備は整うもんなのだ。
「宅急便のお兄ちゃん」を思い出した。
「宅急便のお兄ちゃん」は、毎回、知らない家を訪れ、知らない人と出会う。
どんな人が出てくるのか、ドアが開いてからじゃないと分からない。
「よっぽど怖いんじゃないか。」そう気づいた。
私は、もうすでに中の人の見当が付いているのである。
「ああ、大丈夫だ。もう行きな。」
そうやって、私の手はボタンを押していた。
今思うと、だれが出てくるのか分からなくて怖いのは中の人も同じである。
自分の家に人が訪れるなんて、びっくりする。
ドアを開けるまで、安心できない。
同様に、人に話しかけることも似ているのかもしれない。
どんな反応されるか、興味を持ってもらえるか分からない。
話しかけるのは、かなりのエネルギーがいる。
でも、それと同時に、話しかけられた人も、びっくりしているのだ。
そんな話題が飛んでくるのか分からないけど、脈絡に沿って返さなければならない。
話しかけるのはいいけど、ちゃんと受け側の人のことも配慮しなくてはならないな。
もっと思いやるべきだった。
僕は今日、そこに気付くことが出来た。
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